トリップした話
トリップというのはいわゆる麻薬とかヤッたときの幻覚状態のことを言うんですが。
今日、伊丹市の天神川という川沿いを歩いてるときにトリップした訳ですはい。
意味がわからないですね。まず僕の言うトリップっていうのは完全なる現実逃避のことを言います。限りなくリアルに非現実にいると錯覚するという感じですね。
これまでそれに近いこととして、知らない町を歩いて、自分がここに住んでて今は帰り道だと仮定して景色を見る。というようなことはしたことがあります。ですがこれは錯覚するというよりは実際にここに住んでる人の気持ちになってみるとかその程度のもので、あくまで視点を変えて景色を見るという言い方がしっくりくるようなものでした。
しかし、今回のそれは常軌を逸したものでした。まず第一に完全な錯覚に陥ることができたということです。ほんの5分いや、実は1分にも満たない時間だったのかもしれませんが、現実を忘れ去れたのです。共有しやすい例えとしては、夢の中の架空の街に来たような感覚です。
そして第二に心地よさです。天国があればこんな気持ちでいられる場所なんだろうなと本気で思えました。思わず涙が出るかと思いました。
精神状態がおかしいんじゃねぇの?と思われそうですが、実際ちょっとおかしいかもしれません。と言ってもそんな病んでるとかはないのでご心配なく。ただ単純に僕はいい夢が好きなんですよね。
夢で見る街って僕は基本的に架空なんですよね。夢の中にしかない架空の街なんてものはそれはもう完全に非現実なものなわけで、現実でもそれをすこーしだけ感じたくて知らない街を散歩するのですよね。それって現実が見たくないもので必死に逃げようとしてるってことなので、まぁ精神状態はちょっとよろしくないのかもしれません。
それはさておき、ここからは論理的に僕がトリップできた理由を考えてみようと思います。
まず天神川沿いってどんな場所かというとこんな場所です。この写真でもチラリと見えてますが川ではありますが水は一切流れておりません。子供たちが中で遊んでいたりしました。
こんな感じで草も生い茂っており、かなり長い間水が流れていないんでしょうね。
自分自身ここには初めて来ました。とても風が心地よく。また気温も少し暑いかなという感じで自分好みでした。
道自体はあまり広いわけでもなく、人がすれ違うくらいなら問題ないですがチャリンコ同士だと少し気を使うかなという幅でした。
ではトリップの要因として考えられることを挙げていきましょう。
まずひとつ、既に書いてますが気温や風といった体で感じる心地よさです。
風がめちゃくちゃ気持ちよかったんですよね。強めに吹いてましたが、少し暑い日差しに対してものすごくちょうど良かった。
この心地の良さによりテンションがハイになり、トリップに近づいたのではないかと考えています。
そして次ですが、その時聞いていた音楽です。
starry skyという曲を聴いていました。僕の超お気に入りの曲で、空を浮くようなイメージを持ちながらいつも聴いている曲なので、自ずと視点が上向きになります。これもかなり響いたのではないかと考えています。そして空を見るということも大事です。
次の要因ですが、空です。
この天神川沿は周りに立つ建物の背が低く尚且つ、視界を塞ぐ柵や植物もトリップしたあたりでは存在せず、とても空が高く広く見えました。天気も良く、雲はまばらに浮いてはいますが青空がしっかり見えていて、夏の装いであったためノスタルジックな感情が引き出された部分が大きいものと考えています。
このストリートビューの写真はトリップした地点の手前になりますが、ここに来るまでは左手に何らかの植物が伸び上がって視界に被っていましたがここに来て、植物類はなくなり、家々も下がった土地に建てられていたりと視界が広くなります。
そして次に考えられるのは、天神川沿にある建物や人々の非現実感、エモさです。
エモいという言葉は正式な定義がないので説明の場では適切ではないのですが、きっと伝わると信じて使用します。一体何がエモいのか、それは色々な部分にありまずは民家にあった鯉のぼり
写真では分かりづらいですが、この鯉のぼりはかなり大きなもので、民家の大きな庭のど真ん中にポールを立て、そこに設置しているような形でした。(横からロープによる固定もなされていた)このデカすぎる鯉のぼりのインパクトからくる非現実感。
ストリートビューから写真を借りますが、こちらの民家は左からの道とのt字路の角に構えている家ですが、柵がなく植えた木などの植物が柵がわりになり、もはや犬のフンの注意看板すら木にかけているという状態です。面白すぎる。
そしてこれが引き金になったスピーカーのついた電柱です。これはおそらくスピーカーのためだけの柱と思われます。このエモさです。
この違和感や非合理的な状況ではありながら、行き交う人はたくさんいました。ウォーキング中の老人や、ロードバイクで走る人、遊ぶ子供たち、元気に走る子供とその親。幸せそうな人ばかりが目につき、僕自身も多幸感に包まれていました。
このスピーカー電柱を見た時の僕の視点としてはこちらが近いものになります。
このようにスピーカーと空のみが写っているような形で、なにかノスタルジックな雰囲気で、世界の隅っこにいるかのような感じがして、でも人はたくさんいて心地がいい。
気づけば僕はトリップしていました。
本当に気持ちの良い瞬間で、いろんな重圧から解放されて、震えました。
トリップなんて書き方をしてきましたが、この場所に僕は心の底から感動したんでしょうね。
こんな話が他にあるのか分かりませんが、なんとなく見てみたいと思う方は天神川沿を歩いてみるといいかも知れません。